
2020年10月11日御言葉
<主題>大胆に行なってこそ得る
<本文>ヨシュア記1:5~11
大胆に行ってカナンの地を得たヨシュアたち
今日の本文のヨシュア記では、神様はその時代の中心人物ヨシュアに、イスラエル民族をカナンの地に導くように命じました。私があなたと共にするから、強く、また雄々しく、大胆に行ってその地を得なさいとおっしゃいました。ヨシュアはその言葉を信じて、民のつかさたちを集めて、「糧食を準備しなさい。三日のうちにこのヨルダンを渡って、あなたの神、主があなたに与えて得させようとされる地を得るために」と命じました。神様の御言葉どおりに、ヨシュアは三日のうちにヨルダンを渡って、最も難しかったエリコの城に入って大胆に戦い、陥落させ、神様がイスラエルの先祖たちに与えると約束したカナンの地を手に入れました
神様の御言葉を大胆に行ってこそ得る
人は、お金や権力があれば大胆になるのではありません。学歴が高かったり、力の強い人だと大胆だと思いますが、そこまで大胆ではありません。根本の大胆さは、「脳で、考えること」で起こります。最高に大胆な人は、「神様の御言葉を聞いて行う人」です。ヨシュアの時はヨシュアが、ノアの時はノアが一番大胆でした。神様に「箱舟を造りなさい」と言われて、雨も降っていないのに、すべてをはたいて箱舟を造るということは、普通の人ではできません。神様の言葉だと信じて、神様をはっきり信じたから、何を言われても、踏んづけられても、続けて造りました。この時代もこれと同じく、神様の御言葉を信じて大胆に行ってこそ得るのです。
大胆の王、イエス様
大胆と言えばイエス様であり、時代ごとに神様が立てた歴史の主人公たちも大胆でした。彼らは、神様の御言葉だから100 %できると信じて大胆に突き進めて、新しい世界を造りました。これと同じく、大胆に行なった時に、神様の歴史を導くことができるし、神様のお手伝いができます。ものすごいことをさせるのです。大胆は、「度胸」や「肝が座っている」とも言います。心が弱くて度胸がなかったら、全知全能なる神様が行われることを理解できないから、お手伝いができません。これを聞くと、「私は何もできていない。私は大胆でない」と思うかもしれませんが、神様と神様の御言葉を信じてヨルダン川を渡って来た皆さんは、最高に大胆な人たちなのです。
神様と主と一緒にやる時に大胆にできる
大胆とは、顔をしかめて、怒鳴り、殴ることではなく、柔和に、喜びで生きる人が大胆な人です。人は怖いと武器を使いますが、言葉の武器、行いの武器、全部なくして、平安で神様に従う時に、ヨルダン川を通ってカナンの地、理想世界を手に入れます。今日、大胆とは何かを学んだから、大胆な心で導いて、神様にも全ての人たちにも接することです。また、神様と主と一緒にやる時、大胆に行うことができます。神様が共にする時には、幻を見せたり、いいように、肯定的に見えるようにして、物事が始まるようになさいます。今週大胆に行う人に、神様の力、権能、聖霊の御働きが共にして、望んでいるものを、ヨルダン川を渡って得ることを祝福します。