2020/11/15 主日礼拝「主が永遠な命の道だ」

2020年11月15日御言葉

<主題>主が永遠な命の道だ
<本文>ヨハネによる福音書14:1~6

永遠な命の道となってくださったイエス様

本文は、イエス様が十字架で亡くなる前に、弟子たちに話した場面です。イエス様は、ご自身が死んで天国に行かれることを分かって、「私は住まいを用意するために行く。そして、また来て、あなたたちを連れて行く。」と言いました。これは、この世で住む家のことではなく、天国の住まいのことでしたが、トマスや弟子たちはイエス様が死ぬことを話していることが分かりませんでした。イエス様は、「私は道であり真理であり命だ。誰でも私によらないでは父のところに行くことはできない」と言いました。イエス様を神様が遣わしたキリストとして信じてついて来た人たちは、その天国に行って住むようになりました。神様がイエス様を着て行われたから、イエス様自体が<永遠な命の道>であり、万事においての<道>になりました。

<永遠な命の道>であるキリストを悟る

人生で自分の意を成すよりも、まず先にすべきことは、<永遠な道>を見つけることです。いい場所があったとしても、その場所を使うためには、必ずそこに行く道を作らなくてはならないように、天国に行くためには、必ず<道>を整えなければなりません。キリストだけが道、真理、命であり、<天国への道>は、神様がキリストを通して整えられます。キリストは御言葉で道を作ります。キリスト自体が道です。道であるキリストを、まずは知ることです。そして、その道を通して天国に行きます。キリストについて知ることが、<永遠の命>です。

<永遠な命の道>は狭い道

マタイによる福音書7章13節で、イエス様は、「狭い道を行きなさい。広い道は滅亡の道だ。滅亡に至る道は多くの人たちが行く。」とおっしゃいました。深く祈って霊の世界に行くと道が見えました。一本の道は、多くの人たちが通っている広い道で、薄暗い砂漠のような道であり、もう一本の道は、本当に狭く、両方の肩がやっと通る道で、黄金に輝く道でした。その道はカバンくらいでも引っかかるのです。何も持たずに行かなければなりません。その狭い道が天国に繋がっている1つしかない道でした。<永遠な命の道、救いの道>は狭い道、行くことが難しい道なのです。

最後まで神様、主を愛して生きる

神様は、遣わしたキリストや中心人物を絶対に信じて認めることを一番に願われます。そうすると、神様はその人の願うことを全てしてくださいます。しかし、その祝福と栄光を得てから最後まで神様を愛して生きるかどうかが問題です。途中で変わってはいけません。イスラエル民族は、神様が約束したカナンの地に行く途中、シン荒野で不平不満を漏らしてそこで留まり、目的地のカナンに行けませんでした。結局、イスラエル民族の第2世代たちがカナンの地に行きました。<道>は目的地に行かせるために作ったものだから、最後まで行かなければなりません。<道>を見つけて神様、キリストを信じてついて行くことは大変だけれども、栄光で、最高に祝福になることだから、最後まで変わらずに行くことを願います。