2020/07/05 主日礼拝「忘れずに愛して行きなさい」

主日礼拝「忘れずに愛して行きなさい」

2020年7月5日御言葉

<主題>忘れずに愛して生きなさい
<本文>申命記8:11~18

神様を忘れないで生きる

御言葉を下さるのは神様です。私たちは神様を忘れたら何にもなりません。何かをなくして心配しても、神様は「私エホバを忘れなければ大丈夫だ。またあげる」とおっしゃいます。神様を忘れたら、肉体が死ぬのではなく、霊が死んでしまいます。霊が生命圏から外れたことが死んだことです。今日の本文で、「栄える時に、神様を忘れてはいけない」と言いました。これは、昔のイスラエル民族に話したことですが、今の時代にも話されています。「神様が祝福してあげて栄えていること、それを忘れてはいけない。」神様が私たちを豊かにして下さっています。神様がして下さったのに「自分がやった」と言ったら、それは高慢です。「神様がして下さった」といつも神様を入れて話をすることです。いつも90 %以上のことは神様がして下さり、人は10 %の責任を果たして100 %物事がなされます。それくらい神様が入って行なってくださっています。

絶対的な変わらない神様の愛

人が最初恵みの中に入った時には、その生がどれほど甲斐があって、いいものなのかを感じて、喜び、感謝感激して愛して生きます。しかしある時から、その恵みと貴重さを忘れてしまいます。人間の心と行いは、朝に夕によく変わり、冷めます。人間はみんなそうです。しかし、神様は絶対的で、初めも終わりも変わらず、むしろもっと次元を上げます。神様の人間に対する初めの愛は、永遠に変わりません。これはものすごい愛です。人が、神様への初めの愛と、最初に受けた恵み、祝福を忘れて無気力になって生きたら、神様の主管圏から外れて生きるようになります。無気力の中で生きているなら、早く回復して、目を覚まさなければなりません

神様の恵みを忘れずに生きること

旧約のモーセの時代に、イスラエル民族を神様が本当に愛して守ってくださって、400年間奴隷生活をしていたエジプトから出てくることができました。それまでどれだけ鞭打たれ、大変で無念な思いをさせられたのかを考えたら、最高に喜ぶべきでした。彼らは最初は喜んでいましたが、荒野でまた辛い想いをした時に、過去受けた恵みを忘れて神様に不満を言いました。荒野を越えたら、乳と蜜が流れる故郷の地カナンが待っていましたが、我慢できずに不満を言った人たちは入ることができませんでした。今の時代は70~80年前に比べればものすごくよい時代です。カナンの地に行く路程、途中の過程だと分かって不平を言わず、感謝して今やるべきことをやっていきましょう

貴重さを悟って毎日使おう

人はなくなった時に大切だと気づくことがあります。水も、それがどれほど生活の中で貴重なのか、水を切らしてみないと分からないのです。断水になったら、トイレも、飲む水のことでも苦しむでしょう。水がどれほど大切なのかその時に分かります。これと同じように、神様がくださったすべての恵みが本当に大事だということです。健康であることも感謝し、病気であっても、今生きていることに感謝して、様々に神様に感謝して喜んで愛して生きていくのです。信仰も健康に、霊肉共に健康であることが大きな恵みです。この時代に神様の愛の主管圏の中で生きることもどれほどの恵みかを悟り、神様が下さったものを毎日貴重に思って感謝して使いましょう。使えば使うほど、もっと貴重さを悟るようになります