価値あるところに投資したい

なんだか、最近仕事に身が入らないなあ…。

親戚の会社の手伝いだっけ?いつもなんでも真面目にこつこつこなすのに、珍しいね。

いや、ちゃんと任されたことはきっちり仕上げているんですよ。
でも、自分で言うのもあれなんですが、今の仕事はよくできるようになってきて、僕がやった仕事は会社にとってはそれなりに大事な成果になるけど、僕にとってはそんなに有益じゃないなって。

そうなんだ。その歳で社会に通じるいろいろな仕事を手伝えているのは大きな経験だと思うけど、もう学ぶことはないの?

少しはありますよ。でも、そこに至る注意深さや真心を自分の本当にやりたいことのために充てたら、一体どれほどやる気も出て良いものを作り出せるだろうかと考えてしまうんです。

そっか、自分の能力と有限な時間をどこに投資するのかってことだね。

そうです。肉体の時間は有限で、いくら聡明な頭を持ってたとしても時間と共に衰えてしまうから、力のあるうちにやるべきことをやらないとって。
あ、僕が聡明とかそういう意味じゃないですからね。

ふむふむ、チャーチルさんはご自身の人生の価値を分かってきたのですね。

(現れた…。もし反応しないでいたらどうなるか興味あるわ。なにせ霊は普段は見えないんだからね!)

「現れた…。もし反応しないでいたらどうなるか興味あるわ。なにせ霊は普段は見えないんだからね!」なんて寂しいことを考えないでくださいね。

…!?

今ハモニーさんの霊が私に教えてくれましたよ。

肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。
コリント人への第一の手紙15:44
私が自分の霊や魂(こん)を使える日はいつになるやら…。

まあまあ…(笑)。
せっかくν(ニュー)さんが来てくれたのですから、お話を聞いてみましょうよ。

よろしい。
お二人には神から賜った個性を存分に活かして人生を有意義に生きていただきたいものです。
天の宝

さて、チャーチルさんが悩んでいることは大抵の大人たちも悩むのです。雇われているのと同じだけの熱量と時間をもって他のところに投資するならもっと稼げるんじゃないか、とか。

お金は大事!私も稼ぎたい!

そう、「お金は第二のメシア」です。お金によってさまざまなことが解決できます。
ですが、
愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか
ルカによる福音書12:20
ということなのです。

私のお宝も私が死んだら誰かが処分しちゃうのよね…。

はい。そういうわけで、
天に宝をたくわえなさい
マタイによる福音書6:20
とイエスが言われたわけです。

自分の人生もいつ終わるか分からないから、いつも義を行って生きなさいということですね。一番理想的な人生の使い方だと思います。

地上で労苦して理想世界を作り上げたところで、海辺の砂の城に等しいわ。

そういうことです。

…。(きっと、言ってみたかったんだろうな)
肉の営みは不要か

νさん、そうは言っても、肉の営みがないと僕たちは生きられなくて、皆が福音を宣べ伝えるために仕事を捨てるわけにもいきません。
もし個性を鑑みたときに仕事をすることを選んだとしたら、損をしていることになるのでしょうか?

良い質問ですね。それを知るためには、福音を伝えるとは何か、義を行うとは何か、ということを知らないといけません。
まず、人の個性はさまざまです。これについては世の中においても「比較優位」という言葉がありますね。

ある人があらゆるタスクにおいてもう一人より優れていたとしても、各自が相対的に得意なことに注力する方が全体の効率が良くなるという理論ですね。

え、知ってるの…?さすがだわ…。

そのとおりです。
これと同じように、福音を伝えることに関する才能もまたそれぞれです。これについてはパウロが、
霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。務は種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。
コリント人への第一の手紙12:4-7
と言っていますね。

皆同じ神様から個性と才能を与えられていて、皆もらっているものが違うのは全体として利益を得るため…。
ということは、何かの仕事に長けている人が福音に専念するのではなく仕事をするのは神様からしたら理に適ったことなんですね!

左様です。

そう言えば、NHCが属するキリスト教福音宣教会を創られた鄭明析先生が、
伝道というのは、福音を伝えるために必要なあらゆることだ
っておっしゃってたのを思い出しました。
福音を広めるために一人ひとりが神様から異なる個性や才能をもらっていて、それを意識して取り組んでいれば皆が個性どおりに伝道していることになるんですね。

エクセレント。
結局は
主は心を見る
サムエル記上16:7
とあるように、神は人が何を中心として生きているのかをご覧になっているのです。義とは、御心を成すために行うことを指すのです。
人間は皆地上で生きながら神との愛の経緯をつくっていくものですから、もし仕事と生活を分けてしまったら、信仰生活は一日のうちにどれほどできるでしょうか。

イエス様が
天に宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである
マタイによる福音書6:20-21
っておっしゃってましたが、これはつまり、仕事をするにしてもお金を稼ごうとしてやっているなら地上に宝をたくわえていることで、御心を行おうとしているなら天に宝をたくわえていることだということですね。
すごくすっきりしました!自信を持って自分の個性を活かして神様のために生きていきます!
νさん、ありがとうございました!