主題・聖書本文
主題
- 罪と義について
- 野生の穀物、雑な穀物と良い穀物、良い果実
聖書本文
- ローマ人への手紙11章17節
「しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、」 - ヨハネによる福音書16章8-11節
「それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである」
説教要点
罪とは何か
時代ごとに罪が異なり、罪を許される条件も異なります。
しかしこの世で考える罪は曖昧です。互いに許し合えば終わることも法で罪と規定します。あることは人間は罪だと思うけれども、神様は罪とはお考えにならない場合もあります。
人々は義と罪を区分できません。しばしば自分に害になる行為を罪とみなします。人に害を加えたら罪、神様に害を加えたら罪だとみなします。反対に有益を与えたらそれを義とみなします。
罪と義とはそういうものではありません。罪とは法を犯すことです。神様は天地万物を創造なさった天地万物、地球世界、霊界、肉界の主人です。だから神様の御心どおりにしなければ罪です。神様がその時代の使命者を通して下さった御言葉が法です。
神様はイエスと共に行われたのでイエスの行いを義とみなしました。それなのに旧約の律法学者やパリサイ人たちはイエスの行いを罪とみなしました。
新しい時代が来たら廃すべき旧時代の法は廃します。新しい時代で旧時代の法を守ったら罪とみなします。
最も大きい罪は救い人を信じず、その人を通して永遠なる神様を信じなかった罪です。神様は救い人を遣わし、その人を通してお許しになり、互いに容認して神様の創造目的のために肉と霊の理想世界を成すようになさいます。
理想世界
神様は愛の法を与え、皆赦し合い、仲良くしなさいとおっしゃいました。互いに罪びと扱いをし、争ったら互いに損をします。神様の世界に入ってこなければ、互いに争い、許さず、憎むようになるから理想世界が成されません。
神様が遣わした人を信じ行って新しい時代を迎えたら「復活した」と言いました。神様はそのように地上にも理想世界と天国を成してこられました。
絶対に神様の御心を行うところが理想世界で、地上の天国です。神様が唯一であるように、いつの時代でも神様が行われる根本の歴史も一つです。その一つのところで根本の御心を成します。
愛の世界が神様の御心が成された世界です。愛の世界では愛して全てのことを行います。このように変化した生を復活した生だと言います。
人が愛の対象に出会ったら、その人を愛して家も建て、お金も稼ぎます。その人を愛して料理もつくって食べるし、その人を愛して自分をきれいに装います。互いが愛し合うことを目的として生きていきます。
このように全ての生活で、神様、聖霊、御子を愛して生きていく生が黄金天国の生です。
良い穀物と野生の穀物
主人である神様は時代ごとに農夫を遣わして、真の農作をするようにさせます。時代の命たちを変化させ、復活させます。
良い穀物は主人が良い穀物の種を蒔いて育てて実を結んだものです。これは完全に復活したものです。このように神様、聖霊が遣わした人が農夫になって種を蒔いて実をつくらなければなりません。
イエス様は旧約のしもべ級から新約の息子級に復活させ、次元を上げる農作をなさいました。この時代は時代の使命者を通して新約の子女級から成約の新婦級に復活させて、愛する新婦の農作をするように神様が教えてくださいます。
野生の穀物、野生の柿の木、まめ柿の実は獣が食べるように、人も真の命に変化せず、神様が主人である命にならなければ、サタンと悪のものになります。
この時に雑草の人生、野生の穀物、雑な穀物の人生にならないためには、農夫にぴったりくっついて生きなければなりません。そうしてこそ、管理してもらい、成長すべきときに成長して実を結び、よくなります。
良いオリブの木である主につながって神様を絶対に愛し、この時代にすべきことをして、神様が天地と人間を創造なさった目的どおりに、絶対に愛の生を生きなければなりません。
農作をする途中では実を結ぶことができません。必ず最後に行って初めて農作をした穀物と果実の実がなります。このように最後まで完全に自分の人生をつくらなければなりません。