主題・聖書本文
主題
神霊を学びなさい
聖書本文
ヨハネによる福音書4:23-24
「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。
説教要点
愛する人とは
神様を絶対に信じて行う人が神様を愛する人です。どんな困難があっても最後まで信じて行った人が最高に愛する人です。
他の人の話は聞かないで、ただ神様、聖霊、主の言葉を聞いて行った人は完全な愛を実践した人です。御言葉が神様、聖霊様、主です。御言葉が自分を救います。
非真理は成されず、真理によって自由を得て救いが成される
非真理は、多くの人が信じて熱心になっても成されません。むしろ信じていく途中失敗し、死亡圏の生を生きるようになります。
イエス様の肉的な再臨を新約2000年間信じました。特にプロテスタントは400年間イエス様の肉的な再臨を極的に信じました。それでも肉体の再臨は成されなかったことを見てください。すべてが無駄になりました。
霊が生きてこそ肉も生きます。真理を知ってこそ自由になります。
「霊」という一文字の封印を解けたか解けなかったかによって、人生の生と死、その運命が左右されます。旧時代から新時代に出てくる運命が左右され、救いが左右されます。真理を信じてこそ生き返ります。
神霊であるとは
神様は私たちが神霊と真で礼拝してこそ、受け取られます。「神霊」とは「神様が遣わした主」です。「真」とは「真実に礼拝する自分」です。主と自分が共に礼拝を捧げなければなりません。
全ての存在物を見ると、内側と外側、内的と外的があります。神霊は霊で、内側であり、真は肉で、外側と同じです。何をするにも主と一つになって神様の前に進み出なければなりません。
なぜ神霊でなければならないのか
真実な肉の望みは違う世界、すなわち永遠で神霊な国にあります。だから自分の肉体が神霊な国を知らなければなりません。
肉を持って永遠なる神様、聖霊様、主と一体になって行ってこそ虚しくありません。
神霊であれば知恵深く、神霊であれば宝物もたくさん見つけて得るし、神霊であれば患難や迫害が来ても分かって行うから栄えます。
神霊な人が神霊な主の霊を迎えます。神霊でなければイエス様の霊が降臨しても分かりません。
神霊であるためには神様が遣わされた「時代の霊」、すなわち天に属した人と一体にならなければなりません。