主題・聖書本文
主題
霊と魂を私に学びなさい
聖書本文
- コリント人への第一の手紙2章13節
『この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。』 - コリント人への第一の手紙12章1節
『兄弟たちよ。霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない。』 - マタイによる福音書11章29節
『わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。』
説教要点
霊の世界は存在するけど見えない
霊の世界が実際に存在しているのに、肉の世界では霊の世界を見ることがあまりにも難しいです。
肉が住んでいる世界、肉界があるように、霊たちが住んでいる世界、霊界があるし、霊のようでありながら肉に属した魂が住んでいる魂界があります。肉界の次の次元が魂の次元です。その上の次元として霊の世界の次元があります。
霊の世界は肉の世界とは違う世界なので、肉の目、この世を見る目では一生見えません。霊の世界は霊が行って霊の目で見て、魂が行って魂の目で見なければなりません。
祈って神霊になって心の目を開いて見たら、自分の魂を見るようになります。また自分の魂が霊界に行ったら自分の霊を見ます。
天国に行くには
天の国に行くためには、肉が全知全能なる神様が救うようにと遣わした人を通して御言葉を聞いて神様を信じ仕え、聞き従って、その御心どおりに愛して生きなければなりません。
そうしてこそ、その肉の行いで霊が神様の心と形象に従って変化して、死亡圏に属していない霊になります。そのように肉で完全な霊をつくりつつ、天の国の主管圏に属して生きて肉体の生が終われば、天の国に行きます。
天国はどこにあるのか
天の国は宇宙の外にあります。天の国が肉界に存在するなら、神様、聖霊、御子も肉体がなければなりません。天国は有形世界に存在していません。霊界は肉界ではありません。宇宙の上に存在します。
無形世界は地球、宇宙の外に存在し、宇宙よりも大きくすごいです。
魂の世界
肉が眠ったら、魂が魂の世界に行って活動します。目をつぶって肉が完全に眠ったら肉性が機能できないので、魂が活動します。夢に見えるのはほとんど魂の世界です。
魂を鮮明に肉体のように実感を持って見るためには、
- 学びもし、
- 義なる行いをし、
- 深く祈らなければなりません。
- また、聡明でなければならないし、
- 清くして心が清潔でなければなりません。鏡がきれいであってこそ物体がよく見えるようなことです。
聖三位とイエス様はほとんど見ることができない
祈りの途中霊界に入ったとき、祈るその人にだけ瞬間神様、聖霊、御子、イエス様が現われる時もありますが、肉の目では霊である聖三位とイエス様を見ることはできません。
神様の姿が見たいと言っても、ほとんど一生不可能です。代わりに万物や夢や現実で象徴として見せてくださり、神様が遣わした主を通してその形象と姿を現し、御言葉で感動で現してくださいます。
三位と主は時には夢にも現われ、祈る時も現れるけれども、それはほとんど象徴で見せてくださいます。それも本当に大きいです。それなのにそれをおろそかにしたら、また見せることはなさいません。
一国の王に会った人も本当に大きいです。ましてや三位と主に会ったら、変化してその前よりもっとよく頑張るべきであって、おろそかにしたら大変なことになります。
神様は地上で肉を持つ人を通して行われる
神様はその時代ごとに肉の使命者を通してすべきことを行いました。
神様は地上に遣わした人に行うようにさせ、その人を通して、霊である神様について明らかにし、霊の世界について来るようにしてくださいました。
だからその人を捨てたら神様を捨てた人になって死亡圏に行くようになります。肉は霊に関して知らないから、神様が肉の世界に遣わした人を通して霊の世界を学ばなければなりません。
イエス様は神様が遣わした神様の子です。神様がイエス様を通して救い、行われました。他の人を待っていた人たちは、霊体である神様が直接来られて人間が人間を導くようにするだろうと思っていました。
私たちが経験したとおりに、霊はこの世に行き来しても目には見えません。だから神様は時代ごとに人を通して話されました。
「新しい時代が来たら来る」と言っていた人は、その時代に神様が遣わした人を着て行います。来ると言っていた人は霊が来るし、地上で使命者が来て行います。このように成されるから、盗人のように来ると言ったのです。私たちの考えと全く違う形で来ます。
正しく知らなければ霊と魂と精神が生きて生命圏に属すことができません。