主題・聖書本文
主題
- 人は楽になろうとばかりする
- 問題を解決しなければならない
聖書本文
- 箴言6章9~11節
なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。それゆえ、貧しさは盗びとのようにあなたに来り、乏しさは、つわもののようにあなたに来る。 - ピリピ人への手紙4章6~7節
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。 - マタイによる福音書11章28~30節
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
説教要旨
人は楽になろうとばかりする
多くの人たちは、楽になろうとばかりすることが、心にも体にも習慣づいて体質になって、自分がやるべきことを自分がやらないで、他の人がやってくれることを願います。
このような人たちにやってあげていて、それが癖になると一生きりがありません。むしろ人をだめにすることになり、そういう人たちは怠ける罪をもっと犯すようになります。
ただ祈ってあげるだけにすべきです。イエス様も病気になって来た人に「あなたの信仰どおりに治りなさい」とおっしゃって、それで終わらせました。
いつも神様は行ったとおりに報いてくださいました。基本的には行うとおりに下さいます。苦労でも自分がもっと労苦したらもっと得るから、もっと熱心にやるべきです。
目的のために生きるためには動かなければならないから、問題も生じ、面倒くさく、大変です。経験してみると、それでも結局我慢し耐えて行えば行った分、10倍、100倍有益でした。
なぜ問題が起こるのか
人は生きていたら人生の問題に必ず直面します。その問題を解けなければ問題に縛られ、苦痛を受け、前に進めなくなる時もあります。
どうして問題と患難が来るのか分かってこそ、その問題と患難に勝って解決します。問題が起こるのには大きく七つの理由があります。
- 世の中が邪悪で、時期的に問題が来るものがあります。これについて神様がお裁きになったりもします。
- 自分が神様を熱心に信じても、その道に冬のように問題が来たのです。越えなければならない区間である時もあります。
- 神様が愛するから何かを下さろうとして心、考え、気を引き締めなさいと言って問題が来る時もあります。
- 過去にもらったものについて祈らなければならないので問題が来たりもします。神様が「今あなたの心は緩んでいる。気を引き締めて、過去にもらったものを管理しなさい」とおっしゃるときに試練が来たりもします。
- 神様が「あなたのようにすべての義人に患難が来ている。準備しなさい。私神様をしっかりつかみ、聖霊の中で行って勝ちなさい」とおっしゃって、その予告として患難と問題を下さる時もあります。
- 神様が「あなたを鍛錬し、錬達しなさい。私神様がもうすぐ使命を与える。あなたを使う時になった」とおっしゃって、早く錬達するようにと困難に遭うようになさる時もあります。
- 罪を悔い改めるようにと患難が来る時があります。
これが答えです。自分に直面した問題についてこのことを悟れば、問題を解いた人です。「神様のこのような御心があって受ける過程なのだな」と悟ったなら、問題を解いたのです。
問題は大きく見ると二つです。神様の御心があるから起こる問題なのか、自分の生活によって起こる問題なのか知らなければなりません。神様を愛する人にはほとんど御心があって起こることです。
そしてやるべきことと、やるべきでないこと、いつもこの二つが来ます。
問題を解決するには
問題を解決するためには、まず神様に願い求めて、悟って分かって解決しなければなりません。悟って行うことが問題の解決です。
神様、聖霊、主についてたくさん勉強してこそ、問題を解いていきながら御心を成して生きるようになります。
問題を解決できなければ自分を救ってくださる主に背を向けることもします。イエス様は「私の言葉に聞き従うことは実際難しい。しかし私イエスを正しく悟って愛すれば、私の言葉を喜んで、たやすく守れる」とおっしゃいました。
患難のとき、問題が生じたとき、諦めて脇道にそれたら、行けば行くほど死亡圏の道です。結局死亡圏から戻ってくる道を見つけられなくなります。
自分や摂理史に襲ってきた患難と困難が大きければ大きいほど、神様がそれに該当する分、祝福を下さいます。このことを悟って勝たなければなりません。これが答えです。
聖書と人生の問題
聖書を読んでみたら、旧約の人たちは、エリヤが天に昇っていき、預言者マラキの預言以来エリヤが来ることを待っていました。切実に400年もの間メシヤを待っていました。しかしそのように切実に待っていた人たちがイエス様を殺しました。このような聖書を読んだので、先生は頭が痛く煩わしくて聖書を土の中に埋めました。
世の中で人生の答えを見つけようとしたけれども、やはり答えがありませんでした。だから再びただイエス様を呼んで祈りました。イエス様に会って話を聞いて、もう一度聖書を通して人生の問題を解くことにしました。
埋めてしまった聖書を取り出して読み直して、聖書と人生の問題を学び、すべて解くようになりました。この世があるように天国もあるということを悟りました。その天国は、神様が遣わしたメシヤを通して神様について学んで信じて、神様を愛して生きればそこに行けると悟りました。
聖書を神様の御心で、順理で解いたら問題が実体として解けて、神様が約束なさった新しい時代で千年の希望を成して生きるようになります。