主題・聖書本文
主題
絶対に確認して完全に行いなさい
聖書本文
創世記18:21
わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。
説教要旨
人は成されたことに気付かない
確認しなければ、自分が願ったから、あるいは祈ったから神様が行ってくださったのに、もらったことが分かりません。分からなければ、待ち続けてやきもきするばかりです。
確認したとき、その時はまだ時が来ていなくて願っていたものを下さっていないとしても、あとで成してくださることもあるから、随時確認しなければなりません。
願っていたことを行ってくださったなら、そのことをもって、急いで神様の仕事をしなければなりません。しかし確認しないから、行ってくださったのに祈って待ってばかりいます。
歴史を見ると、神様とメシヤを待っているユダヤ人たちは神様もメシヤもいらっしゃったのに、ちゃんと確認しないから来たことが分からないどころか、むしろ不信しました。
「確認」は自分の固定観念の認識をはっきりと捨ててからやらなければなりません。他の人の間違った認識ではなく、正しい認識を持って自ら確認しなければなりません。
例えば、誰かが崩れてしまった人の家を建ててくれると約束したとしましょう。その約束は
- お金だけをくれて終わる場合もあります。
- また、ある時は家を建てる人を送って成してくれる場合もあり、
- もしくは、他の所に家を移るようにさせて成してくれる場合もあります。
このようにやってくれる人が方法を変えてやったら、その人がやってくれて、もらったのに分かりません。もらう人は自分の方法でやってくれることとばかり思っているからです。
人間は分からず不信する
神様はイスラエル民族に「あなたたちの先祖が住んでいた乳と蜜が流れる地へ入れ」とおっしゃいました。イスラエル民族が待ちに待って願い求めていたことでした。
行ってみたら他の人たちが住んでいました。戦って勝って入らないといけない所だとは知りませんでした。それでイスラエル民族は神様のこともモーセのことも恨みました。イスラエル民族はただエジプトから遠くの神様が約束なさった地に行きさえすればすぐに入れるものだと思っていました。
この時代を待っていた人たちはみんなイエス様の肉が再び来られて約束どおりにしてくださると思って2000年もやきもきして待っていました。確認もしないでイエス様の肉が来て働きかけると認識しているので、イエス様が霊で来て働きかけても続けてこのことを信じずにイエス様の肉ばかりを待ちます。まだ時になっていない、延期されたのだとばかり思います。
神様は新約人たちが願うとおりには歴史を行われません。イエス様の肉はその当世の罪によって万民のために犠牲になられたからです。だからイエス様の霊が再臨して働きかけられました。
聖書の歴史を見ると、待っている人たちの考えどおりには成されず、神様の方法どおりに成されました。待っている人は間違って肉的に考えるからです。
神様が何か行ってくださるときは、神様の立場でその時の状況に応じて行ってくださいます。いつの時代も目的のために行く道には敵と困難があります。現実は違うからです。
ほかの方法だとしても、してくれたならば成されたのです。神様はもっとも理想的な、理に適う形で成してくださいます。
前者と後者で歴史は成される
最初のものに御心を持ちましたが、二番目のもので御心が成されました。神様の聖書の全体の御心がこのように成されました。
旧約の歴史を見ると、神様は長子を立てて神様の御心を成そうとしました。しかし長子たちがちゃんとできないから、次子を立てて家庭と民族と世界的に働きかけられました。
- アブラハムの家庭では長子イシマエルではなく、次子イサクを通して神様の御心を成しました。
- イサクの家庭では長子エサウではなく、次子ヤコブを通して神様の御心を成しました。
- ヤコブの家庭でも12人の兄弟のうちの多くの兄たちではなく、ヨセフを通して神様の御心を成しました。
また歴史的に見ると、神様はアダムがエデンで神様の御心を成せなかったから、後のアダムであるナザレのイエス様を通して神様の御心を成しました。
今も前の人ができなければ、後で他の人を立てて行います。前者が死んだら後者を立てて行います。
自分の時に行いなさい
時はいつでも時が来るのではなく、季節のように来ます。春‐夏‐秋のように来ます。
自分の時が来たら、どんな環境でも、どんな位置にいるとしても行わなければなりません。その時に種を蒔いてこそ、成長期の時に成長し、復活期の時に熟して収穫するようになります。
みんな自分の時が来たら自分が行うことは自分の責任です。「死に至るほど忠誠を尽くす」と約束しておいて約束を破ったら神様、聖霊様は憤られます。