主題・聖書本文
主題
- 神と聖霊は肉体を着て行われる
- 伝道してこそあなたと摂理史の願いを叶えてくださる
- アドナイ・エレ
聖書本文
- ヨハネによる福音書 4章25〜30節
女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った - マタイによる福音書 28章20節
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである
説教要旨
どのように御言葉を聞くべきか
神様が時代の御言葉を話してくださったら、繰り返して聞いて悟るべきです。どんな人について話していることか悟って、御言葉を自分の生活と生に結び付けて聞くべきです。
御言葉の中にはみんなに該当する御言葉もあるし、該当者にだけ該当する御言葉もあります。御言葉を聞くときは、祈って自分に該当する御言葉を悟るようにしてくださいと願い求めなければなりません。
神様と聖霊様は肉体を着て行われる
神様は人を着て人と通じ、人に話されるのです。聖霊様も、御子も、イエス様も霊体だから、ふさわしい人を着て働かれます。
働きかけ、共になさる方法はさまざまです。知恵の御言葉で共になさり、体が熱くなって、さまざまな兆候が現れることもあり、病気が治るようにもしてくださり、さまざまに行うべきことを思い浮かぶようにしてくださりもします。
遣わされた人の名前で祈れば聞いてくださる
いつも遣わされた人と共にし、その名前で告げることです。そうしてこそ、「遣わした人と一つになって行なっているのだな」と神様がお分かりになります。その名前で告げるということは、一つになっているということでもあります。その人が私たちのために条件を立ててくれたからです。
神様は後悔なく行われる
神様はお裁きになる時も、何かを行われる時も、後悔なくなされます。人もトイレで排泄物を出して出るとき、すっきりして出てきます。後悔しません。神様はすべてのことをそのように行われます。神様は一度裁いたら、それで終わりにします。永遠に、二度と思い出すこともしません。
神様がこのように後悔なく人々によくしてくださっているのに、人々は神様の御心をよく分かりません。どうやって、主人が「もっと信じなさい」と強要できるでしょうか。主人がしもべや召使に、どれだけもっと言えばいいでしょうか。神様の前でも同じです。
御言葉だけを伝えて自ら行うようにさせなさい
イエス様は条件つきの話をしないで、強要もしませんでした。多くの人たちが自ら行うようにさせ、その中で大きい実になった人を用いられました。
良くなるようにと心、思い、命を尽くして行いなさいと御言葉でだけ続けて教え、助けました。このようにイエス様としてすべきことをすべてなさった後、イエス様のことを分かって信じて絶対視する人たちを弟子にしました。
各自神様に対して行って得るようにさせるべきです。福音だけを伝えることです。その行いでもらうことはその命の責任で、その行いによってくださるのは神様がなさることです。
アドナイ・エレ
この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。
創世記22:13~14
このように神様が下さろうとしてすべてを用意なさいました。だからこの時代も御言葉を聞いて悟って生きる人は幸いな人です。
この時代にどのように信じるべき人を信じ、行うべきかを悟らなければなりません。既に分かって行った人たちは祝福をもらって生きています。