NHCライジング『聖書に出てくるツチノコらしきもの』

NHCライジング

イントロダクション

2018年、ある中年に差し掛かったNHC在籍の男が真理と街に徘徊するポケモンを求めて街を彷徨ううちに西早稲田の八幡神社に迷いこみ、初詣の神ではなく、深い祈りと聖書の神との交感の最中に脳に天啓を受けたのであった。

今を生きる若者たちにこそ、New Harmony Churchのありのままの姿を伝え、そのスタバに向かう足を教会へと向かわせなければならない。

とにかく、若者たちにこそ、ここNHCに体現されている教会の真の姿を伝えたい。教会がいかに多様性に富み、各自の個性が生かされ、互を容認し、相互に助け合う素晴らしい環境なのかということを。それがこのNHCライジングである。

みなさんご機嫌よう。ツチノコ並に早稲田に実在するだろうと言われている教会、その名もNHC(ニューハーモニーチャーチ)のブログ担当ナマ☆タマゴ でございます。ブログ四回目にしてやっとちゃんとした教会名を叫ぶことが出来て大変うれしいです。

略してニューハモ教会ならまだ覚えられるのですが、ニューハーモニーチャーチまで行くと中々覚えにくいですよね?ファミコンのドラクエ世代の我々からすると、名前は四文字までしか付けることができませんでした。必然的に長い名前は覚えにくいのです。

 恐らくスマートフォン世代ならばこの位の長さの名前もへっちゃらで記憶できることでしょう。そして、このブログのターゲットは産まれた時からスマホが身近にある、スマホネイティブ世代。隔世の感を感じるしかないこの頃でございます。

聖書に出てくるツチノコ

 さて、スマホネイティブ世代にはツチノコと言われてもピンと来ないかもしれません。およそ40年前、日本UMAブームの火付け役となった幻の蛇のことです。ツチノコを捕獲したら、懸賞金3000万(金額は適当)などといわれて世間は一大ツチノコフィーバーです。 私ならそれだけのお金があったら、無駄に教会内に螺旋階段を作りたいところ。

 この辺りのツチノコ、カッパ、人面犬あたりを日本三大UMAとしておきます(人面犬はちょっと違うか)。 

一応教会のブログなので、聖書に関連付けて話を進めていきますとどうなるか。

 昔々、モーセがイスラエル民族を率いてエジプトを脱出し、カナンに至る道中の出来事になります。 次第に荒野の生活に嫌気が差し始めるイスラエルの人々。まあ荒野はネット環境が脆弱で、WiFiもないので彼らの不満もわからなくはないですが。パケット死にする者も何人かはいたと思います。

首都圏から遠いので多分ジャンプも火曜日発売なはずです。ウチの田舎も昔はそうでした。そんな生活私には到底耐えることはできません。 

ついには彼らは導き出したモーセと神様に文句を言い始めます。そんな彼らにモーセも激おこプンプン丸。

ひとしきり地上でわちゃちゃして、ついには神様は彼らに裁きとして噛まれたら死ぬ、燃える蛇を送りつけます。私ならもちろん着払いで送りつける所です。その辺りからも神様の寛大さが伺いしれます。

民衆は大パニックです。「萌える蛇」ならまだいいですが、「燃える蛇」。それも噛まれたら死んでしまいます。あかちん塗ってもだめです。ロキソニン飲んだら痛みは消えるけど、やっぱり死ぬと思います。

困った民衆は悔い改めてモーセに災いを取り去ってくれるように願い、モーセは神様に祈ります。

神様がモーセに示した救済手段、それは、

青銅の蛇をつくり、それを竿の上にかかげよ。それを仰ぎ見る者は救われるであろう

民数記21:8-9

というものでした。この時、モーセが青銅の蛇のモデルとしたのがツチノコ、では当然ありません

さて、スマホネイティブ世代が分かりやすいように分かり易く要約してみた上記のエピソード。我々の時代はパピルスや羊の皮の巻物やら何かに記されていたので大分読みにくかったですが、いかがでしょうか。 

実際このエピソード単体をみても何のこっちゃですが、後々のキリストの十字架に関わってくる重要なお話でもあります。

神様が一番嫌いなもの

突然ですが、ここでクイズです。神様が一番嫌いなものはなんでしょう?

はい、答えはこちら。

あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。

出エジプト記20:3-4

これは十戒と言われるものの一番最初の戒めです。それは殺人とかではなく、偶像崇拝なのです。

なぜって?想像してみてください。普段会えない配偶者が家で何しているかとこっそり帰宅前に窓から覗いてみたら、なんと自分とは別の異性の写真を飾ってうっとり眺めていたとは!!

あるいは、もし愛する人に電話で「もしもし、私だ。愛している」と言ったら、

「あ、○○?私もあなたを愛してるよ!」

と全然違う人の名前を言われたその心情!

聖書のツチノコは望まれぬ存在だった

さて、先のツチノコに戻ります。あの一撃必殺の燃える蛇に噛まれた時にキュオラという呪文のごとく命を救ってくれるツチノコ、後世まで大事にされたと思うでしょう?

実はヒゼキヤという信心深い王によって粉々に打ち砕かれました(皆さんの「え〜!?」という声が聞こえてきそうです)。

ヒゼキヤはすべて先祖ダビデがおこなったように主の目にかなう事を行い、高き所を除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、モーセの造った青銅のへびを打ち砕いた。イスラエルの人々はこの時までそのへびに向かって香をたいていたからである。

列王記下18:3-4

そもそも、モーセが神様の声の代弁者で、モーセがエジプトでいろいろな禍と奇跡を起こしたからイスラエルの人々はエジプトの軍隊を全滅させて脱出できたわけです。

なのに燃える蛇に噛まれて青銅の蛇を仰ぐなんておかしい話なのです。

モーセはもはや民からナメられていて、人々はモーセを命も左右する神の人として見ていなかったゆえに仕方なく蛇を神として仰がせたのです。そして後世の人も相変わらずその蛇を神として崇拝していたのです。つまり聖書のツチノコならぬ青銅の蛇は偶像だったわけです。

結び(重要)

さて、締めくくります。こんな偶像のツチノコについて、まさかのあのイエス様が言及した場面があります。

ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。

ヨハネによる福音書3:14-15

この言葉に秘められた真相はいかに。

気になる方、早稲田のツチノコ教会、NHCまでおいでませ~☆

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトルとURLをコピーしました