機会は願っていた形ではなかなか来ない

はあ、機会を逃してしまった…。

チャーチル君、なにか落ち込んでるの?

実は教会でやりたい仕事の募集があったんですけど、いろいろ悩んでたら応募者が一定数に達して締め切られてしまって…。

そっか、残念だったね。

僕の悪いところの一つが、行くべき時に行けないことです。
今回の募集のタイミングちょっと前に僕はたまたま手が空いて、その仕事に関わるスキル習得のようなことができたんです。
長いことそういう方面の仕事ができないかと祈ってたんですけど、募集が唐突だったもので準備できてないと感じて人に相談もしながら悩んじゃったんですよね。

分かるなあ。良い機会って自分が願っていた形では来ないんだよね。

今思えばなんで人に相談したんだろうとも思います。誰かじゃなくて神様や聖霊様に祈って決めればよかったのに…。一番最初に神様の声じゃなくて人間の声を聞こうとしてしまった自分が悔しいです。

反省を忘れず次につなげようとするその姿勢が素晴らしいですね。

ν(ニュー)さん、私たちが話しているのをいつも聞いてるんですかってくらいタイミング良く現れますよね。

ええ、わたくしにはリアルタイムで悩める人々の会話の報告が入りますので。
せっかくなので、機会をつかむために重要なことをお伝えしましょう。

お願いします。
機会をつかむためには

機会をつかむために重要なことはまず祈ること、過去に捧げた祈りを忘れないこと、自分の考えを空けて状況を見つめてみることです。
まず祈ることについて、神は人の思いをご存知です。しかし神は霊でおられるので、神の方から話しかけても人は分かりません。ゆえに肉である人が先に神に話しかけて初めてやりとりが始まります。
また、過去の祈りを忘れたら自分に与えられた機会だということが分かりません。
最後に、自分の考えを空けられないと、先程お話なさっていたように、自分のかくあるべきという認識で機会を見逃すことになります。この「自分の考えを空ける」というのが、すなわち神と聖霊に尋ねてみることに相当します。

成される形も予想と異なるけど、時も想定より早く来ることが多いですよね。

いかにも。
なぜ人間の想定よりも早く行われるかといえば、その時が神が見るにさまざまに条件が整った最も理想的な時だからなのです。
人が見る自分にとって最高の時と、神がより広く見て最高の時は異なるということです。

機会のつかみ方は理解できましたが、いざつかんだ時には何か意識すべきことはありますか?

そうですね。やる時には小さくしかできずともその時に行い、かつ「この時が機会だ」と徹底的に行うことです。
というのは、あることは一、二年経つとまたつかむことができますが、あることは皆既日食のように一度逃せば数十年経ってようやく出会うものがあり、あるものは一生のうちに二度とは鉢合わせる機会が来ないからです。そしてそのことの結果が永遠な自分の霊魂の運命を左右する場合もあるのです。

一生か。そう言えばイエス様が
人の子は思いがけない時にやって来る
マタイによる福音書24:44
っておっしゃってましたね。
すでにイエス様は来られているのに、自分の認識が捨てられなくて見えないということがないように気をつけないといけないですね。

エクセレント。聖書を正しく学んでしっかり迎えましょう。
それではわたくしはまた良き知らせを待っている人々のもとへ行きますので、このへんで。