興奮して話す人

チャーチル君、週末は何して過ごしたの?

一年以上会っていなかった祖父母に会いに行きました。祖父も祖母もそれぞれ変化があって、いろいろ複雑です。

そうなんだ、私のおじいちゃんは最近物忘れが多くて、何度も同じ話をしてるけど、そんな感じ?

ああ、まさにそれです。祖父は机に肘を置いて頬杖をついてぼーっと座って、「楽しみを奪われてしまった」なんて言っているんです。「物忘れがひどくなったようだ」と母にも話していました。
痴呆になってきている原因は普段話をする相手がいないことなんだろうなと。

え、でもおばあちゃんは一緒にいるんじゃなかった?

複雑なのはそこなんです。祖母は祖父と二人でいる時は祖父の批判をすることが非常に多いと聞いたことがあるんです。
週末に僕と母が訪問した時もずっと祖母は祖父の悪口を言ったり干渉したりしていて、見るに耐えませんでした…。

晩年に夫婦仲が悪いと人生悲しくなりそう…。

それもそうですが、祖母の状態もまた異様で…。僕と母がいる間、さながら機関銃のように途切れることなく話し続けていたんです。
以前は祖母がそれほどまでに話す人間だとは感じたことはありませんでしたが、相手の反応を気にせずに話し続ける祖母の声は、ややもすれば神経を逆なでするような感覚さえありました。

客観的に見て、興奮状態にあったってことね。

そういうことです…。

ああ、脳を誤った方向に興奮させることのいかに恐ろしいことか。

ν(ニュー)さん…。「これはまずいなあ」っていう親族の姿を見ながらも受け入れるしかないって悲しいです。

少年チャーチルの悲しき心の声を聞くに耐えず、わたくし寄り添って差し上げようと参りました。

…静かに聞いてみましょう。きっとまたνさんがすっきりするように語ってくれるんだわ。
興奮が害になる

興奮には悪い方に向かうものと良い方に向かうものがあります。
例えば、悪い方に向かうものとしては、血気に脳が興奮すると感情の向くままに一通りやってしまうまでは収まりません。話すことも度が過ぎれば騒音でしかありません。
歴史的には人々の熱狂が取り返しのつかない事件を起こしたこともありますね。

神様を待っていたユダヤの人々がキリストを十字架に付けたのも熱狂からでしたね。

左様です。律法学者ニコデモは言いました。
わたしたちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、さばくことをしないのではないか。
ヨハネによる福音書7:51
当時の宗教指導者たちも先導された群衆も、30歳の田舎の大工の息子が既存の権威の偽善を叱りつけながら新しい福音を語り、奇跡を行って回ることを見て聖書を離れて妬みと怒りに興奮していたのです。
イエスが再び来られる時も今自らが興奮して思い描いている姿で来るとは限りません。客観的にありえないにもかかわらず、天から肉体が降りてくると興奮したら、そのようなイエスを期待してしまいます。
はたまた興奮によって目の前の自らの期待と異なる姿・言動をした再臨したイエスを否定して同じ過ちを繰り返す可能性もあるのです。

あと、愛は盲目って言いません?異性的な愛で興奮したら極端な欠点でも目をつぶってしまうけど、興奮が冷めた途端に「怪物のように後を追ってくる短所」に苦しむって聞いたことがあるような…。

そうですね。同じ相手を愛するにしても、神がキリストを通じて人間に教える永遠性のある霊的な愛をするのでなければ長く続くことはありません。互いが赦し、覆い、また学びながら神の前により磨かれた存在になっていくことが理想的ですね。
興奮が益になる

興奮が良い方に向かうものもあると言っていましたが、どんなことが該当するのでしょうか?

先程愛の話をしましたが、神に対する愛は酔ったとしても害になることはありません。真理によって裏打ちされた確かな道を歩みながら興奮して行ってこそ、自らが想像もし得なかったようなことを成し遂げるようになるのです。

聖書で似たような言葉がそのまま出てくる箇所があるよね。
主は、シャルテルの子、ユダの総督ゼルバベルの心と、ヨザダクの子、大祭司ヨシュアの心、および残りのすべての民の心を、振り動かされたので、彼らは来て、その神、万軍の主の家の作業にとりかかった。
ハガイ書1:14
バビロンに崩されていた聖殿を復興するってとても勇気がいることだったし、全イスラエル民族の悲願だったから、とても大きなことを成し遂げたことだよね。

NHCが所属するキリスト教福音宣教会を創られた鄭明析先生もご自身の故郷に巨大な岩の造景を造られたことを思い出して、
かつては完成していく神の偉大な宮を前にして、絶え間ない労働も、数十トンの巨石群が幾度となく崩れる恐怖さえもものともせずに建築に溺れたが、今は岩一つを積むことさえも恐ろしい
っておっしゃってました。
今ではそこは毎年述べ百万人の人々が集まる場所になって、長年の経験を積んだ建築家たちも工法を学び、誰もが「美しく、神秘的で雄大だ」と口にする聖殿になっています。

お二人から聖殿建築の話が出たところで、皆さん一人ひとりが神の宮なのです。真理に感動し、酔いしれてひたすらに実践することで自らの体という神の宮をつくることも神が人間を創造された目的を成す偉大な業績です。

日々新たにつくりかえられるよう今日も神様の御言葉を実践していきます。νさん、ありがとうございました!