天使ニューの日常を深める聖書話『宗教の核は何か』

天使ニューの日常を深める聖書話

人は自ら人の上に立つことはできない

チャーチル
チャーチル

最近とある団体がうちのポストに「今の世界の状況はある千年前の僧侶の教えに従わないことから来る『総罰』である」という刊行物を投函したんですよね。

「今こそ全国民にその教えを教えん」という見出しが派手に書かれていて、「決戦」という文字も並んでいて何やら物騒な雰囲気を醸し出していました。

ハモニー
ハモニー

へえ、結構威圧的な感じだね。ご両親はそれを見てどんな反応を示されたの?ご両親はそんなに宗教に関心なかったよね?

チャーチル
チャーチル

幸い父も母も家にはおらず、僕だけがそれを見て処分しました。

これだけ威圧的なものを民家に投げ込んだら、僕の両親に限らず、多くの人が脅迫的だと感じてますます宗教を疎んじるようになるんじゃないかと心配です。

ν(ニュー)
ν(ニュー)

真の教えは恐れによらず、順理にもとづいて行われて人々に受け入れられるものですね。

ハモニー
ハモニー

(この自然な会話への割り込み…。もはやツッコむ気も起きないわ)

そもそも「罰が下っている」というからにはそのお坊さんが罰を下したっていうことになるのかしら。それともお坊さんがよりどころにする仏様かな?

チャーチル
チャーチル

お坊さんは罰を下す存在にはなれないと思います。仏も自分より高い存在を証することなく生きられたので、罰は下せないんじゃないかな。

ν
ν

そうですね。人は人に罰を下すことはできません。人として生まれた者は上から権威を与えられずして自ら人の上に立つことはできないのです。

宗教の核は何か

ハモニー
ハモニー

世の中にはいろんな宗教がありますけど、イエス様の教えはどうして宗教とされているんですか?

ν
ν

ふう、それは深い話になりますね。

チャーチル
チャーチル

(きっと変身するんだろうな…)

パワーアップν
パワーアップν

(真理の力で変身)

まず「宗教とは」ということについてですが、宗教というのは「根本を教える」という意味です。根本というのは、人とその住まう世界の根本です。つまり宗教の核心はそれらを教える御言葉なのです

この定義でお分かりのように、その教えは人の悟る慈善や人の考えをめぐる抽象的な概念で足りるものではありません。

肉で百年の時を過ごして再び土へ還るべく定められている人間はなにゆえそのように生きるのかを教えることができなければならず、この人の世界を取り巻く天地万物がなぜ存在しているのかを教えることができなければなりません。

チャーチル
チャーチル

なるほど、宗教ってそういうものだったんですね!

じゃあ、いかなる時代、いかなる民族の内であれあからさまに語られてきた霊の世界を明かすことも含まれるわけですね。

パワーアップν
パワーアップν

いかにも。

しかしもう一つ御言葉が備えるべき重要なことがあります。

チャーチル
チャーチル

え、なんだろう…。

ハモニー
ハモニー

私、分かったかも。時が経っても正しくあり続けることじゃないかしら。

パワーアップν
パワーアップν

スーパー・エクセレント!

聞き慣れた言葉で言うなら、真理であることなのです。なぜ人間は生きるのかという答えが今と未来で、ある地域と他の地域で変わってしまったら、救いに至る道が混沌としてしまいます。

常識とも科学とも矛盾することなく、数千年の宗教歴史とも矛盾することなく、世界のどこにいっても通用し、この先預言された千年の歴史においても崩れることのない完全な教えが必要なのです。

チャーチル
チャーチル

それを聞いて、NHCが所属するキリスト教福音宣教会の創設者である鄭明析先生がご自身が救いに関する本を著されたきっかけについてこう語っていたのを思い出しました。

イエス様に「私は天国にたくさん行ってきたから天国の話を書きましょう。そうしたら人々が天国に来ようと信じるようになるはずです」と話した。

また、「地獄の話を書きましょう。そうしたら人々は地獄に行かないように信じるはずです」と話した。

するとイエス様は言われた、「人々は天国や地獄を知らないから地獄に行くのではない。救いに至る方法を知らないから地獄に行くようになるのだ。あなたがそれを最もよく知っているゆえあなたがそれを著わさなければならない」。

パワーアップν
パワーアップν

そう、雰囲気によってついて行くからといって救いを受けるのでもなく、神をただ信じるからといって救われるのでもなく、主を「主」と呼ぶからといって救われるのでもありません。救いに至る確かな道を示す必要があるのです。

キリストは創造主たる神を証し、その神の御心は何か、それゆえ神が願う品性、行いとは何であるかを教え、それにより命ある全ての者に神のもとへと至る救いを与えるために来られた存在なのです。

完全な教えに対する確信

ハモニー
ハモニー

これまで「キリストは救いについて真理を語る」と簡単に言っていたけど、ちゃんと分かってみるとキリストはものすごく責任が重いんですね。

パワーアップν
パワーアップν

左様です。それだから主イエスは自らが教えたことについて、それが人間の水準ではなく上から権威を賜って語ったのだと強調してこのように言われました。

私の言葉は自ら語る言葉ではなく神が私に教えられたことを語るのである。

ヨハネによる福音書12:49-50

そしてまたその確かであることを指してこう言われました。

天地は滅んでも私の言葉は滅びることがない。

マタイによる福音書24:35
チャーチル
チャーチル

鄭明析先生もまたイエス様から学んだという福音についてこうおっしゃっていました。

私が誤ったことを教えるならば私自ら地獄に行かなければならない。

当時は「こんな風に語る人ってなかなかいないな」とだけ思って聞いてましたが、僕が考えていたのよりもずっと重い命賭けの覚悟だったんだと気付かされました。

パワーアップν
パワーアップν

「自らの言葉は真理だ」と語ることはできても、言葉の正しいことはその働きによって確かめられなければなりません(マタイによる福音書11:19)。

神がその御心をもって天地を導かれるゆえ、人から出たものはいつの世もそれに従う者の多少にかかわらず遂には崩れ、神から出たものは崩れることなく続いてきました。それはこの先も変わることがないのです。

ハモニー
ハモニー

アーメン。「信仰は盲信ではなく体験の積み重ね」ですね。これからもちゃんと確認しながら進んでいきます。

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