イントロダクション
2018年、ある中年に差し掛かったNHC在籍の男が真理と街に徘徊するポケモンを求めて街を彷徨ううちに西早稲田の八幡神社に迷いこみ、初詣の神ではなく、深い祈りと聖書の神との交感の最中に脳に天啓を受けたのであった。
今を生きる若者たちにこそ、New Harmony Churchのありのままの姿を伝え、そのスタバに向かう足を教会へと向かわせなければならない。
とにかく、若者たちにこそ、ここNHCに体現されている教会の真の姿を伝えたい。教会がいかに多様性に富み、各自の個性が生かされ、互を容認し、相互に助け合う素晴らしい環境なのかということを。それがこのNHCライジングである。
皆さんこんにちは、早稲田NHC(仲間内で激しくチョップ)教会、ブログ担当 ナマ☆タマゴでございます。
上質な肉の調理でキレる
先日、神の御恵みにより上質なステーキ肉を手に入れました。この年になると(年齢はヒ・ミ・ツ☆犬年齢でいうと8歳位です)、脂っぽくてニクニクしい食べ物はそんなに食べられなくなってしまいます。
そんな私でも思わず舌なめずりをしてしまう程の美味しそうなお肉です。
ちなみに毎月29日は肉の日。なるべくお肉を食べてキン肉マンを熟読する事を心かけています。もちろん嫌がる弟や妹の額に肉の字を書き込むのは忘れてはいけません。
輝く赤身はルビーを、程よく入ったサシはユフラテの大河を、したたる血は、モーセがエジプトに下した十の禍の一つを彷彿とさせます。
ペシペシと肉の表面をナフタリの子鹿を撫でるように優しく叩いて感触を楽しんだ後、表面肉の表面の水分と油と罪をペーパーで拭い去って準備完了。
「これぞ神の恵み、ヒャッハー!」
テンション高めに、いと高き所から胡椒と塩をふりかけると、加熱されたフライパンの上に肉を叩きつけます。ビダーンという快音。
肉は火により精錬され、清められ、大量の加熱された油が私に襲い掛かってきます。
「あっちいなコレ!」
私は予期せぬ肉の逆襲に思わずファミチキ先輩のような叫び声を上げてしまう。そしてそれまでの天まで登るようなハイテンションは、「ニクしみ」と「血気」に変わってしまう。
「相手が血のしたたる肉だけに」って?そうかもしれません。
そしてイエス様がご自身を売り渡した者について語られた霊の言葉が頭をよぎり、思わず
「この牛を産した地は呪われてしまえ。牛の胎は開かれたかった方が良かったであろう」
と私の口から肉の言葉として出てきます。
「相手が肉だけに」って?そうでないとも言い切れません。
そうしてひとしきり牛と肉について悪態を付いたあと、はっと気づかされるのです。
これが血気盛んというやつか…。
血気は神様が嫌う性格の一つ
血気を出すこと、怒ること。これもまた聖書の中で神の前に罪とされる性格の一つであります。
主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか」。
創世記4:4-6
血気を出すことは私たちが平素生きている中で最も犯しやすい罪の一つとも言えるとも思います。信仰生活とは血気との戦いでもあるのです。
私自身、もともと幼少期より柔和なこと、モーセか仏様のごとき少年がいると近所でも評判でしたが、それでも時折この悪しき性格が顔を出してしまうことは多々ありました。
聖書を学び、神の視点からこの怒り、血気について考えるようになってから更にこういった性格とは袂を分かとうと努力し、幾分か磨かれてきたのですが、まだまだ性根の部分に居座っているようです。
今回、この血気、怒るということについて書こうと思っていましたが、前置きが長くなってしまったのと、冷蔵庫に保管してあるプリンが母親に狙われ始めているので…、
次回に続きます!(強引にしめます)